クリニック開業のススメ
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クリニック譲渡の体験記、譲渡は「文化の継承」であることに気づかされた
歯科クリニックの経営を長年続けてこられた院長にとって、その幕引きである「譲渡(承継)」は、一生に一度の大きな決断です。今回、ホワイト歯科クリニック(さいたま市)のマネージャーとして長年、院長と共に歩んでこられた奥様の新井美紀様に、同クリニックの譲渡の実体験をベースに、準備から実行、引き継ぎの細部に至るまでの体験記をご寄稿いただきましたので、ご紹介します。
ホワイト歯科クリニック
マネージャー(事務長) 新井美紀
当院は、新井伸一院長が1996年11月に開業し、以来30年、地域密着を柱に歯科診療に心血を注いできましたが、院長の潔い決心の末に、この3月をもって譲渡を完了しました。
譲渡を決意してからここに至るまでは色々な難題がありましたが、アドバイザーの税理士法人TOTALさんには、度重なる幾多の混乱にも関わらず、粘り強く最後までご支援をいただき、無事にクリニック承継を果たすことができました。TOTALさんに厚く御礼を申し上げたいと思います。
以下は、夫である院長に代わって、今回のクリニック譲渡を主導してきました事務長(マネージャー)の目から見た振り返りです。譲渡は単なる「資産の売却」ではありません。長年共に歩んできたスタッフ、そして信頼を寄せてくれる患者さんという、最も価値のある財産をいかに継承させていくか、そのための具体的なプロセスと注意点を詳しくまとめました。これからクリニック譲渡をお考えの皆様のご参考となれば、望外の喜びです。
譲渡の決意から準備まで、スタートは「理由の明確化」から
譲渡の検討を開始したのは、実際の譲渡完了から1年半前のことでした。今、振り返ってみますと、譲渡を計画するに当たって先ず行うべきことは、なぜ譲渡するのかという「譲渡理由の明確化」だと感じます。ここが曖昧なままでは、途中で計画が頓挫する可能性が非常に高くなります。いわゆる“もう譲渡は止めようか”と、すぐに思いたくなるからです。
当院の場合、主な理由としては以下の3点でしたので、後戻りできない状況が逆に幸いしたのではないかと考えています。
- 院長の体力的・精神的な限界、引退希望
- 後継者の不在
- 事業の整理
次に、当院ではまず「何を次のクリニックに残したいのか」を言語化することから始めました。この「残したい文化」が明確になっていないと、後の承継候補者のマッチングで大きなズレが生じることになります。
仲介業者選びの現実
①業者選定
譲渡計画にあたり、4社の仲介業者に相談しました。ここで分かったのは、業者によって得意・不得意や手数料に大きな幅があるということでした。
A社:個人Drを紹介してくれましたが、積極的な仲介姿勢には欠けていました。
B社・C社:一人も紹介がありませんでした。
TOTAL社:支援体制が組織化されており、法人顧客の成約に結びつきやすいと感じました。結果として、TOTAL社の仲介により法人への譲渡を決めました。
注意すべき点ですが、中間手数料が低すぎる業者では、譲渡価格自体を低く見積もって、買い手を広く集めようとする傾向があります。クリニック撤去費用・片付け費用程度の譲渡価格を設定する業者もいました。その中でTOTAL社は、売り手の希望を聞いていただき、かつ根拠に基づいて算定してくださり、安心できました。
② 秘密保持契約と必要書類の整理
譲渡計画において、何よりも大事な鉄則は「スタッフに知られないよう秘密で進めること」と感じました。クリニックによっては、最初からスタッフに情報をオープンするケースもあるようですが、一般的にはスタッフの動揺を抑えるためにも秘密裏に進めることが肝要ではないでしょうか。
当院の場合、ある仲介業者に少し相談したところ、その業者が早速SNSに情報を流してしまい、それを見た周囲の関係者から「クリニックを辞めるの?」と聞かれる事態にまで発展しました。幸いすぐに投稿を削除してもらい大事には至りませんでしたが、通院患者さんやスタッフに動揺を与えないよう、情報の取り扱いには細心の注意が必要と思い知らされた次第です。
③ 準備すべき主な書類
計画当初に、当院の顧問税理士の協力を得て、以下の書類をPDFデータで整理し、フォルダ保管しておきました。
- 直近2年分の確定申告書
- レントゲン設置届
- 国保・社保の振込書
- 図面、家賃契約書
- 患者さんの月次推移
買い手による違い、個人Drか・法人か
実際に経験したことですが、買い手が個人か法人かによって、その後の展開は全く異なります。それぞれの特徴を把握し、自分の医院の文化に合う方を選ぶことが大切です。以下は主観的ですが、今回感じた両者の主な相違点です。
| 項目 | 個人Dr | 法人 |
|---|---|---|
| 意思決定 | 遅め | 早い |
| 条件交渉 | 感情が入る | 数字重視 |
| 次期院長のカラー | 強い | 組織型 |
| スタッフの継続雇用 | 比較的安定 | 再編の可能性あり |
| 譲渡価格 | 買い手の相場寄り | 高値になることもある |
| 自費診療の継承 | 慎重 | 仕組み化で対応 |
| マニュアル重視 | 度合いは中程度 | 非常に重視 |
| 経営の院長依存度 | 許容される | 嫌われる(組織型を好む) |
① 個人Drへの譲渡の特徴(人情・継承重視)
メリット:売り手の想いを引き継ぎやすく、地域医療の継続や診療スタイルの継承といった「継承感」が強く感じられ、スタッフや患者さんも安心しやすい。
デメリット:譲渡金額を融資で賄う場合、時間がかかることがあります。また、カリスマ院長型の場合には、譲渡後に患者さんの数が落ちるリスクがあります。
② 法人への譲渡(スピード・数字重視)
メリット:法人内で決裁が通れば即契約というスピード感があり、分院展開を狙う法人では、利益額・利益率が高い医院を高値で評価します。
ポイント:法人は「仕組み化」を重視するため、マニュアルの有無や診療スタイル(予防型か補綴重視か、等)を重点的にチェックされます。
譲渡実行までのスケジュールとトラブル防止
譲渡クロージングの約1年前に行われたTOPミーティングでの取り決めに従い、買い手側のアドバイザー(大手仲介企業)が実行スケジュール表を作成し、売り手に開示する約束でした。しかし、買い手の法人が新院長の人選に難航し、また保健所への相談が遅れたりしたため、売り手側アドバイザーの度重なる要求にも関わらず、結果的に実行スケジュール表は最後まで開示されませんでした。
大手仲介企業のアドバイザーであっても、後々のビジネス取引に配慮して買い手に遠慮するのではなく、売り手側のアドバイザーの要求を取り入れて、買い手を厳しく指導できるアドバイザーであって欲しいと願うものです。
また、法人とは言え、今回の買い手が一般社団法人だったためか、色々な場面で企業色が前面に出てきて、特に医療面の理解度と対応には大変驚かされました。経験から分かったことですが。
実行スケジュール表がなかったことで、デューデリジェンス(DD、買収監査)がしっかり行われず、それが最終局面でのトラブルに繋がりました。教訓として、円滑な承継のためには、スケジュール表に従って明確にステップを踏む必要があると感じました。
以下は、振り返ってみて実際のタイムラインを整理したものです。
2025年3月:承継候補者とのトップミーティング
6月:基本合意書の締結
11月:次期の新院長決定、機械類の状態ヒアリング(正式なDDではありません)
12月:院内スタッフへの譲渡計画の説明、院長面談
2026年1月:譲渡契約締結、通院患者さんへの告知
2月:新しい雇用条件の提示と契約締結
3月末:旧クリニック閉院
4月初旬:譲渡実行、クロージング
このタイムラインの流れの中で心がけるべきは、クリニックに勤務しているスタッフへの対応です。例えば、労働条件の提示が遅れたりすると、スタッフの不信感に繋がりますので、早い段階での条件提示を心がけた方が良いと思います。
また、旧クリニックのカルテの保存期間ですが、医療法では診療が完結した日から5年間となっています。しかしながら、後々の民事での訴訟リスクを考えて10年保存をお薦めしたいです。
カルテの引き継ぎも大きな問題です。当院では、院長から新院長への患者さんの引き継ぎが終了次第、TOTAL社のアドバイスに従ってこの件は結着予定ですので、今は詳しくは申し上げられませんが、旧院長と新院長の法的責任区分、買取側の法人開設者の法的役割、譲渡契約書の規定、更には管轄保健所の指導と合わせて調整することになるのは間違いありません。
成功の鍵を握る「細部」の擦り合わせ
器具や機材だけを引き渡しても、譲渡は成功しません。新クリニックに移行した段階で、患者さんとスタッフを失わないために、事前に以下の運用ルールを買い手と徹底して話し合う必要があります。
①患者さんの最初の体験
新クリニックになって「医院が変わった」という患者さんの最初の体験は、受付や問診から始まります。既存の通院患者さんに対して、旧院長が日頃気をつけていたことを新院長から直接伝えるなどして、新クリニックでも旧来通りであるという安心感を与える工夫が必要です。また、特に手書き文化からタブレット入力への急激な変更は、高齢の患者さんの離脱を招く恐れがありますので要注意です。
②スタッフが疲弊するアポイントルール
アポイントの取り方は、スタッフが最も板挟みになりやすい部分です。旧クリニックが「丁寧さ重視」の姿勢を持っている場合、新クリニックで「回転率重視」であれば、現場のスタッフは混乱します。また、その他に急患対応やキャンセルポリシー、担当制の有無などを細かく擦り合わせるべきでしょう。
③診療の質と自費説明
新クリニックになって、往々にして「前の院長と言っていたことが違う」という不満が患者さんからもたらされることがあります。これは致命的なミスと捉えるべきです。歯科治療の補綴説明の流れ、見積書の形式、保証内容、使用する材料や電子カルテの記載ルール(略語など)までスタッフ全員と共有しておかないと、診療室が「暗号解読大会」になってしまいます。
最後に、譲渡の本質は「文化」のバトンタッチ
歯科クリニックは、機器を備えた設備産業のように見えて、実際は「人の思い」で動く事業です。譲渡にあたって、新院長に就任されるドクター全般にお伝えしたいのは、「自分のお城を作ろうとすると失敗する」ということです。
- 治療を怖がる患者さんには、優しく接する。
- 小児患者さんは急がせない。
- スタッフ間でせめぎ合わない、院長はスタッフを責めない。
これらは一例ですが、こうした目に見えない「文化」を言葉にして共有することこそが、真の継承と考えています。良いものは残し、その上でブラッシュアップしていく、それが患者さんとスタッフの幸せに繋がります。
譲渡の最大のメリットは、単なる機械的な売買ではなく、「これまで築き上げてきた患者さんとスタッフの絆を、次のクリニックに引き継ぐこと」にあります。このことは、譲渡する側、承継する側の双方が忘れてはならないことだと思っています。

執筆者 / 三田村 清幸
税理士法人TOTAL 医業経営コンサルタント
岩手大学工学部卒業
理数系の教育分野で海外勤務後、我が国初の医業経営コンサルティング専門企業の設立に参加。海外・国内の病院コンサル事業に従事、同社は国内最大手企業に成長。役員を経て、2020年に税理士法人TOTAL入社