クリニック開業のススメ
クリニックの開業の成功に向けた現場で役立つ実践的な情報を提供します。
長寿企業の知恵に学ぶ、クリニックのリスク管理~安全文化の継承
日本社会における長寿企業の知恵
日本には長寿企業が多いと言われます。「帝国データバンク 全国『老舗企業』分析調査(2024年)」によると、業歴が長い企業数は以下の通り報告されています。
- 業歴 100年以上=4万5,284社
- 業歴 200年以上=1,813社(世界の65%を占めると言われます)
- 業歴 300年以上=889社
- 業歴 500年以上=47社
- 業歴1000年以上 =11社
同調査によると、長寿企業に共通する特徴として、以下のポイントが挙げられています。
- 継続の重視:目先の利益よりも事業の継続を最優先する。
- 信頼の経営:地域社会や取引先との長期的な信頼関係を基盤とする。
- 高い危機管理意識:過度な負債を避け、不測の事態に備える。
これをクリニックに当てはめると、これらは「地域医療の継続」、「患者との信頼」、「医療安全」に明確に読み替えることができます。即ち、地域社会に根差し、世代を超えて信頼を繋ぐという点において、クリニック経営と長寿企業の理念は深く共鳴するものがあります。
長寿企業においては、社員が「危機管理意識」を共有し、一体感を持って取り組んできた成果が事業継続の重要なファクターであろうと推察しています。これは、後述する「安全文化の継承」というテーマそのものでもあります。
クリニックが直面するリスクの全体像
クリニックの管理者が安心して診療に専念するための取組としては、先ず第一に潜んでいるリスクの全体像を把握し、次に可能な限り法制度に基づいた対策を講じることが重要です 。以下では、クリニックで想定されるリスクを取り上げ、リスクへの対処法、ガイドライン等について整理してみます。
①医療事故リスク
1)「医療の安全性」についての意識調査
日医総研の公表資料「日本の医療に関する意識調査、2024年1月23日」によると、「日本の医療への信頼感は高いものの、小規模な診療所における安全管理体制の強化が課題」としています。また、別の報告書(日本医療政策機構 「2025年日本の医療に関する世論調査」)では、8割以上の国民が医療機関を「安全」と認識している一方、医療従事者の多忙さによる安全性の低下を懸念しています。
2)クリニックの対処策
a.「医療安全管理指針」策定
医療事故リスクに対して、厚労省は患者の安全を最優先として、すべての病院・診療所・助産所に対し、事故防止を目的とした「安全管理指針」の策定を義務付けています。この指針では、体制整備や、年2回以上の職員研修、インシデント報告の体制構築が義務付けられている他、安全管理の具体的な方策として、医薬品安全使用マニュアルなど各種マニュアルの整備が規定されています。クリニックもこの指針に従って、対策を整備することになります。
安全管理者の配置義務への注目
2026年4月からの医療安全管理者の配置義務化は、クリニックにとっても極めて重要な変更点です。実務責任者1名の選任や体制整備、研修準備など、今から準備できることがありますので、関係法令等を確認して下さい。
b.診療所「自主管理の手引き」
法令ではありませんが、クリニックの地域自治体では、「クリニックの自主管理の手引き」を公開しています。その中には、クリニックの「安全性」に該当する箇所としては、以下が挙げられており、自主点検を推奨しています。
- 安全管理体制
- 診療用放射線の安全管理体制
- 医薬品、医療機器の安全管理体制
- 個人情報の保護
- サイバー攻撃対策(医療情報システムの安全管理)
3)施設基準のメリット
クリニックには施設基準をクリアすることを条件として、医療安全対策加算が認められています。施設基準の主な要件は、組織的な安全管理体制、専任の医療安全管理者の配置、研修の受講、マニュアル整備、患者相談窓口の設置などですが、安全対策は、コストではなく、収益(評価)に繋がっています。
②情報漏洩・ネット犯罪のリスク
クリニックには地域の患者の情報、経営情報など、価値が高い情報(データ)が多く保管されていますが、昨今、小規模なクリニックを狙ったランサムウェア被害が増えています。
これに対し、2003年制定の個人情報保護法を背景に、厚労省は、医療機関における医療情報システムの安全管理を目的として、「医療情報システムの安全管理に関するガイドライン」を定めています。これは、システム開発事業者、運用担当者、外部の運用事業者を網羅するガイドラインです。このガイドラインの遵守は、単なる防御策に留りません。万が一の事態が生じた際には、組織として適切な対策を講じていたことを示す「無過失の証明」となり、法的・社会的な責任を軽減する鍵となります。
③風評被害(口コミ対策)のリスク
風評被害には複数の種類がありますが、このうち、福島第一原発事故を契機とした「放射性物質による食品・環境関連」、および近年の「新型コロナウイルス等による感染症関連」の2つに関して、厚労省と関係省庁から、風評被害対策のガイドラインや指針が示されています。
クリニックで特に問題となりやすいのが、いわゆる口コミ被害です。
厚生労働省からは、クリニックに向けた口コミによる風評被害や誹謗中傷への直接的な対策を定めたガイドラインは公表されていませんが、代わりに以下の2つにより、不当な風評被害を軽減・対処する考え方が示されています。
1)医療広告ガイドライン
このガイドラインでは、患者の口コミ(体験談)は原則として広告規制の対象となり、医療機関が自らのウェブサイトやSNSに掲載することは禁止されています。
口コミの取り扱い
患者やその家族が自主的に投稿した口コミは原則として規制対象外ですが、医療機関が意図的に良い口コミだけを掲載したり、口コミサイト業者と連携して虚偽の評価を記載したりする行為は、ガイドライン違反となる可能性があります。
違反時の対応
偽の口コミで風評被害が発生した場合、医療機関はWebサイト上の相談窓口や警察、弁護士と連携して対応する方針が示されています。
2)カスタマーハラスメント対策マニュアル
このマニュアルでは、医療現場においても、具体的な風評被害対策として以下の手順が推奨されています。
a.情報発信の管理
感染症発生時など、根拠のない中傷を受けやすい状況では、正確な情報をWebサイトやSNSで迅速に発信する。 b.法的手続きの検討
事実に反する投稿で名誉毀損にあたる場合、口コミサイトへの削除依頼や、投稿者特定(情報開示請求)を行う。 c.記録を残す
悪質な口コミの画面スクリーンショットや、日時などを記録として残しておく。
「削除依頼」の現実的なハードル
削除依頼や情報開示請求は、実際にはハードルが高い場合が多いのも事実です。それ故、「正確な情報の迅速な発信」こそが、最も現実的で効果的な防御策であり、実戦的な対策になります。
④自然災害・火災のリスク
自然災害(地震・風水害等)は、起きないに越したことはありませんが、予測不可能な災害に対して現状では、災害発生時にはクリニック施設設備・スタッフ・患者を守り、事後には診療の継続が第一に求められることになります。
厚労省は、自然災害に対するクリニックの対策として、主にBCP(事業継続計画)の策定を推奨・義務化の方向で進めています。未だ法的義務はありませんが、クリニックの努力義務として、災害が発生した場合、患者とスタッフの安全確保、および診療継続のための対策を求めています。BCPがクリニックに求める項目は、以下のような項目です。日ごろから災害時の対応をイメージして頂きたいと思います。
- 基本事項:想定される災害の種類、想定される被害、喪失される診療機能などを設定
- 事前準備:災害時の優先業務、患者・スタッフの避難体制、外部との連絡体制などを計画
- 災害発生時:被災情報の確認、避難計画の実施など
また、上記とは別に、有床診療所で発生した火災を受けて、厚労省より以下の防火・防災対策要綱が発表されています。火災予防対策、消防計画、防火訓練、防火上の建物構造、防災設備の点検、避難・誘導、などが網羅的に記載されています、ご一読をお薦めします。
「病院等における防火・防災対策要綱 2013年10月18日 厚生労働省医政発 1018第17号」
⑤犯罪リスク(外部・内部)
クリニックの安全管理というと、とかく医療の質の安全性を思い浮かべるかと思います。これは、日本社会自体の治安がよく、犯罪発生率も諸外国と比較して非常に低く、安全な環境とのイメージが根付いているためでしょう。
しかしながら、犯罪統計資料を見ると、医療機関での犯罪発生率が意外に高いことに驚かされます。とはいっても、日本の医療機関には、患者来院時のセキュリティーチェックなどはありませんので、各クリニックでは対策のしようがないとお考えになるかと思います。そこで、先ずは現状認識から始めて想定される事態への対策イメージを描いて頂き、院内に危険ポイントは無いか、確認することでも一歩前進であろうと考えます。
1)内部不正のリスク
厚生労働省の公表資料には、医療機関の職員(医師、看護師、介護士、技師、事務職員など)による虐待、性的虐待、個人情報の持ち出し、収賄などの犯罪や不祥事が報告されています。これらは患者の命や安全、プライバシーを直接的に脅かす重大な問題であり、個々のクリニックにおいても、未然の防止対策が求められる事案です。職員による不祥事(個人情報の持ち出しや虐待)は、組織運営において避けては通れないリスクです。であれば、常に職員「疑う」のではなく、後述する「仕組みで守る(安全文化の正義の文化)」を適用した方がより現実的と言えます。
2)外部から受ける被害
a.厚生労働省の報告
「医療従事者の安全確保に関する調査結果と課題、R5年」では、過去に発生したクリニックの医師・スタッフへの事件が報告されています。日本のクリニックの全数は約17万2千(医科約10万5千、歯科約6万7千、2023年)であることを考えると、この種の事件の発生率はかなり低いものの、医師・スタッフに直接的な被害が及ぶこと、また事件が患者や家族により引き起こされていることが特異となっています。
また、この報告書では地域、診療科を問わないことも対策を考える上で重要なヒントです。一旦、ことがあればクリニックの診療継続が困難になることが想定されますので、院長は日頃意識して目を配る必要がありそうです。
b.警察庁の「犯罪統計資料」による犯罪発生件数
医療機関(全国で約18万施設)を発生場所とする窃盗、侵入盗などの犯罪発生件数は、2021年度で年間約4,000件に上り、発生率は2%以上と決して低くありません 。特に窃盗が75%を占めており 、「医療機関は安全」という思い込みを捨て、防犯カメラや出入り管理などの「有形の防御」を見直す必要があります。
c.特殊なケース
直接的には犯罪とは関係ありませんが、医療と事件性を語る上で、各診療科の固有な事情を考慮する必要があると思いますので、ここでは、精神科救急を取り上げてみます。
精神科救急外来を持たない医療機関は、普段目にすることはないでしょうが、精神疾患が疑われ、自傷他害の恐れがある患者の緊急事態には、警察が精神保健福祉法第23条に基づき介入・通報を行います。その際には、警察は患者を保護し、必要に応じて精神科救急医療機関へ搬送、行政による措置入院や緊急措置入院へ繋げる役割を担います。このケースなども、医療機関が警察との接点を持つ一部と言えます。
d.厚労省による注意喚起
厚生労働省は、医療機関の職員に対する犯罪や不祥事の未然防止、および安全管理体制の強化に向けて、ガイドラインや通知を通じて具体的な対策を求めています。
平成18年9月25日 医政総発 0925001号
医療機関内で、発生したスタッフに対する暴力事件等が多発したことを受けて、未然防止を目的として、安全管理体制の取組みを提言しています。
平成28年7月26日 医政総発0726第2号
多数の被害者の発生を受けて、医療機関の患者等の安全確保について、注意喚起が行われました。
- 日中及び夜間における医療機関の管理・防犯体制、職員間の連絡体制を含めた緊急時の対応体制の構築、夜間等における出入り口等の防犯措置
- 出入・動線の工夫、防犯設備(防犯カメラ、電子ロック等)・システムの拡充、警備員の配置、職員間の連携促進
- 警察等の関係機関との協力・連携体制の構築、有事の際の迅速な通報制度
医療機関内で事件・事故が起きた場合、物的あるいは精神的被害を受けたドクター・スタッフは残念だった、と世間の関心を集めるだけに終わるかもしれません。
クリニック院長には、事件・事故が起きた場合を想定して、自ら有形無形の防御策を施し、被害を最小限に抑えるべく、スタッフとの危機意識を共有し、事に備えることが重要ではないでしょうか。安全文化はその一つのツールになり得ます。
安全文化の醸成と継承
社会の安全管理とリスクを軽減するための有効なツールとして、英国の研究者ジェームズ・リーズンが提唱した「安全文化」の概念があります。これは、医療分野や航空業界、原子力産業など、特にリスクがもたらす影響が大きい業界で広く採用されており、組織全体で安全性を高め、事故やエラーを未然に防ぎ、或いはリスクを軽減する概念となっています。
スタッフ同士による声掛け運動などもその一つと言えるかもしれません。
この概念をクリニックに当てはめると、基本的な柱は以下の4点になります。
①報告する文化 (Reporting Culture)
「ミスを隠さない」環境です。インシデント報告書(ヒヤリハット)は、犯人探しではなく「宝の山」として扱う雰囲気づくりに活用するべきでしょう。
②正義の文化 (Just Culture)
「責めない(No Blame)」と「責任の所在」のバランスです。不注意によるミスはサポートし、意図的なルール違反には厳正に対処するという明確な基準を指します。
③学習する文化 (Learning Culture)
報告された事例から学び、具体的な改善策(マニュアルの改訂や配置の変更)に繋げるプロセスです。
④柔軟な文化 (Flexible Culture)
新人スタッフでも、院長のミスに「先生、違うのではないですか」と言える空気です。職種やキャリアに関わらず、違和感を口にできるフラットな組織風土を指します。
特に、少人数のチームで運営されるクリニックでは、単なるルールやマニュアルの遵守ではなく、院長自らが「患者の安全を最優先する」価値観を言語化し、継承していく姿勢が不可欠です。
リスクに対応した保険
リスクが顕在化したとしても、診療を止めるわけにはいきません。例えば、広く認知されていることですが、地震保険が代表例になるでしょう。地震により、クリニックの建物、設備等に被害があったとして、診療を継続するためには復旧に要する資金が必要になります。その際に、救済策となるのが地震保険です。
本稿で取り上げたリスクに対して、どのような復旧資金対策があるのか、調べてみるのもリスク管理の一つではないでしょうか。「備えあれば、憂いなし」です。
結びに、明日から始める「安全文化」の第一歩
クリニックで発生しそうな様々なリスクについて述べましたが、普通は「いつ起きるか分からない」、「起きたらどうしよう」、「起きてから考えよう」、など捉えがちです。リスクは「起きてから考える」のではなく、日頃の備えが被害を最小限に抑えます。
リスク管理は、多額の投資が必要なものばかりではありません。まずは、スタッフ同士が些細な「ヒヤリ」を共有し合える「声掛け運動」から始めてみませんか。長寿企業が数百年の歴史を紡いできたように、危機を「仕組み」と「文化」で乗り越える姿勢こそが、クリニックが地域で永く愛され続けるための最良の投資となるはずです。

執筆者 / 三田村 清幸
税理士法人TOTAL 医業経営コンサルタント
岩手大学工学部卒業
理数系の教育分野で海外勤務後、我が国初の医業経営コンサルティング専門企業の設立に参加。海外・国内の病院コンサル事業に従事、同社は国内最大手企業に成長。役員を経て、2020年に税理士法人TOTAL入社